あかでやみぬる月の光を

本との出会いを徒然なるままに綴る。

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沈黙の王

沈黙の王
著者:宮城谷昌光


 商(殷)王朝の王子・子昭(第22代、高宗・武丁)は生まれ付き流暢に話ができない障害があった。父小乙は子の行く末を案じ「病が治れば帰還を許す」として、賢者と呼ばれる甘盤に会いに行くよう旅立たせる。
 子昭は河に沿って南へ旅立つ。それは沈黙に耐え言葉を探す旅だった……。  「沈黙の王」



 夏王朝のころ、東の地方を占めた大族の族長、后羿(こうげい)は獲物を求めて南下しつつあった。暮色にそまる大地にわずかに火の灯りがみえた。木々の間で隠れていた火を熾した男を捕らえてみると、東方の寒の伯明氏の子の浞、寒浞と名乗り命乞いをする。
 それは、夏王朝を一時的に滅亡の淵に追い込む運命的な出会いでも遭った……。  「地中の火」



 紀元前780年。周の都を大地震(西周三川の地震)が襲った。不吉な前兆を感じとった周王朝の大史の伯陽は周王朝の滅びを予見する。
 そのころの周王室は、幽王は寵姫褒姒に浸り政を疎かにするようになり、正室の申后と太子宜臼を廃嫡し褒姒を后に、褒姒との子・伯服を太子にした。また佞臣の虢公によって苛政を行い人心は荒廃していた。
 そんな折、王宮の大史の伯陽のもとに、鄭の君主・友(桓公。鄭の初代君主。幽王の叔父に当たる)が訪れた。鄭君・友は史官にそれとなく援助をしてくれていた恩人でもあり、伯陽は友に請われるまま周王室が滅びても鄭の国が存続できる秘策を授ける……。  「妖異記」



 掘突(鄭の君主、武公。鄭の桓公、友の息子)は父の知らせが遅いことに痺れを切らせていた。申侯が率いた西夷と犬戎の連合軍に周の王都は蹂躙され、都を守っていた父である桓公は幽王を守りながら鄭を目指しているはずである。
 周王朝の滅亡をいち早く見抜いた桓公は伯陽の進言どおり、中原の諸国に鄭の民を分けて避難させていた。鄭国の留守を預かる息子の掘突は父からの急使が届いてから既に6日。次の使者の到着が遅れていることに焦りを感じていた。

――父君の身に凶変があったのだ。

 出撃しようとする掘突を、申軍と遭遇して破れれば周も鄭も一朝にして滅ぶとして大夫の関其思が引き止めた。そうこうするうちに、一人の臣が驪山の幽王や鄭公の戦死との急報を告げる。
 大夫の関其思は、申候に平伏し申国にいる宜臼を奉戴するよう。それが鄭公のご遺志であると付け加えた。掘突は迷いに迷う、それは恨みを棄てて申候の靴を舐めるに等しいが……。
 離散した鄭の民を再び糾合し、鄭国の再興を成し得た中興の祖。武公を鮮やかに描く。  「豊饒の門」



 
 ある日。叔向(羊舌肸)は市中の店で、鳳凰の翼のような冠を見つけ見とれていた。自分はまだ軍尉(軍警察)の佐官ではとても買えそうに無い。羊舌家は公室から分かれた支流の名門ではあるが卿の高位にさずかったことは無く大夫どまりであった。
 叔向の兄・伯華が任官して間もない頃。曲梁で晋の君主・悼公の弟・楊干が軍令を犯し隊列を乱して無礼を働いた。司馬(軍警察)の魏絳は楊干の御者を処罰した。悼公は弟が罰せられたことに激怒し伯華を呼びつけ魏絳を捕らえるように命じたが伯華は司馬の魏絳の人柄を熟知していたので。
――魏絳の二心の無く。自らを罰するために出向いてくるであろうことを応えた。
 その言葉通りに魏絳は出頭し、ためらうことなく剣を抜くと自刃しようとしたのを押し止めると。悼公は
――寡人の過ちなり。
といって、詫び。魏絳に深く倚信をおいた。
 曲梁に従軍していた叔向もその一件は知っていた。あの折の魏絳や兄の伯華が行った清新さは見事だった。華美な冠に重ね合わせて思い出した出来事であったが、いつまでも冠に見とれているわけにも行かない。
 店を出て歩き出したところに、向こうから女と男が近づいてきた。男は大きく女の従者のようだった。叔向の目が女と合った。女の類稀な美貌が叔向の耳目を捕らえて離さなかったようである。

――まさに玉人

 叔向は三四歳になるが妻帯はしていない。美しさも清らかさも兼ね備えたように見えた美女に……。

 晋の平公や宰相の趙武を補佐した名臣・叔向(羊舌肸)の生涯を描く。同時代には斉の晏嬰。鄭の子産と名臣が国を支え、時は名臣の時代を迎えていた。  「鳳凰の冠」

短編5編収録。「沈黙の王」「地中の火」「妖異記」「豊饒の門」「鳳凰の冠」





 短編ゆえに、非常にテンポの良い運びとなっており。飽きさせることなく広がる世界観に魅了されていきます。
 しかし、短編であるが故に少々説明不足かな。ともとれるところもございますれば、今回は宮城谷先生が考えられたであろう世界を補強できればと、幾つかのお話をさせていただきます。

「沈黙の王」
 主人公『武丁』が文字の創始者であるとする根拠には、武丁の時代以後から多くの甲骨文が発見されているからなのですが、その経緯について少しばかり。

 殷墟から発掘された甲骨文についての偉大なる功労者は、中国の「董作賓」(王国維・羅振玉・郭沫若とともに「甲骨四堂」と称される。)「胡厚宣」の両氏と日本の「貝塚茂樹」氏などの甲骨学者の根気のいる作業について話を外すわけには参りません。

 董作賓の著作などから
――安陽小屯の東の河川から甲骨文が出るというので、発掘隊は初日にそこを掘ったが何も出ませんでした。翌日は村人の案内で南の郊外を掘ると甲骨文が出てきたので、次第に範囲を広げていきました。村の南、村の北。諸Y水南岸のそれぞれに重点的に発掘された甲骨に刻まれた文字の字体が違うことに気付きました。これは必ず時代の差を物語るに違いないと日食月食を記した年表作り年代を決定していきました。(詳細は「殷代の月食考」参照)――

 これによって、安陽小屯の殷墟が殷の後半期の盤庚から300年間のものであることが確認できたのですが。ところが、盤庚から3代の「盤庚(19代)→小辛(20代)→小乙(21代)」この間の3人の王が統治した60年間の甲骨文があまり発見されていないのです。
 何万辺にも及ぶ甲骨が、この後の次の武丁(22代)から後のものばかりということが、本作品の主題の一つである。武丁が漢字をあまねく発明したと発想することにつながります。
 しかし、周代以降に記録された書物には盤庚以前の記録も、もちろんのこと含まれており。何かの伝承に基づいて記録されたものなのか、定本となったものがあったのかどうか、実物で示された根拠が何であったのかまでは今日わかりません。
 今後の新しい発掘や発見が待たれるところです。


 子昭(武丁)が旅の途中で出会う、猩猩の毛皮をまとった美貌の少女の「好」と呼ばれる。巫女を使って妖術を行う大族があっさりと商(殷)朝に帰属するような感じを受けますが。

 范曄(ハンヨウ)の後漢書には、中国の南方・西方の蛮夷の起源を次のように取り上げています。
――犬の嫁取り。  昔。高辛氏(殷の始祖)の世のころ。犬戎の侵入に悩まされていた皇帝は、誰か犬戎の呉将軍の首を取って切る勇者はいないかと募った。この難題をやり遂げたものにはたくさんの褒美の他に美しい王女を嫁がせよう。と言った。
 ところが、皇帝の愛犬・般瓠(バンコ・盤古)が姿を消したと思っていると、呉将軍の鮮血にまみれた首を咥えて帰ってきた。皇帝は後悔し渋る様子を見せたが、篤実な王女は、約束を果たすと言って、ついに般瓠に負われて南山の石室に入り、六男六女を産んだ。これが蛮夷の祖先であると。―― 

 もともとの民間に伝わっていた伝承を応昭が「風俗通」に採録したものを、范曄が装飾して記録したものですが、高辛氏とは帝嚳のことで殷の祖先神の一人であるとし、当時の殷王朝が大公山脈を隔て、たびたび山西省あたりの犬戎族と敵対し悩まされたことは間違いなく。しだいに南の「蛮夷」とはなんらかの親族関係を持ち出して結びつきを強めたことが窺えます。
 そのことからも、子昭と美しい少女の「好」族となんらかの縁戚関係を持って結びつくことも容易に考えられます。
 現在も華南の広西省、西江流域の傜人(ヤオジン)。湖南、広西、貴州に住む「苗族」の一部には盤古の話が伝わり祖神としての信仰もよく伝わっています。
 余談ではありますがこの伝承が、滝沢馬琴「南総里見八犬伝」の物語の導入部の仮借したものとなったであろうことは間違いないでしょう。

 武丁が作中のように言葉を持たなかったかどうかについてはわかりません。父小乙が崩御の後に3年間の服喪が過ぎても口を開かなかったとありますが。
 ”王庸(もつ)て書を作り、以って誥げて曰く「~われに良弼(りょうひつ)を賚(たま)ふ。」”
ともあり。
 決して話さなかったことは間違いないですが、話せなかったワケではないことも十分考えられます。



「地中の火」
 夏王朝の異聞となる本作ですが、「書経」によると以下の記述が見えます。
―― 夏王啓の子 太康(たいこう)は王位についたものの、王と言うのは名前だけ。放埓な振る舞いで徳を失い、民心も離反した。しかし反省することなく、遊びふけり、洛水の南へ狩猟に出かけ百日も帰らなかった。
 有窮(ゆうきゅう)の君主、弓の名人の羿(げい)が、民の苦しみをみかねて、黄河の岸で戻ろうとする太康をさえぎった。
 太康の五人の弟は、母に付き添って洛水の北まで兄を迎えに出たが、いつまで待っても兄が帰らないので、五人はともに兄の過ちを悲しみ、先祖の大禹の残された訓戒をのべて歌を作った。――「書経」
 
 「竹書紀年」から題材をとってはいますが、これもあながちマッタクのデタラメというわけでもなく、往々にして事実は小説よりも奇なりで、お家騒動などや身内のクーデターの可能性もあるものの、ひとつの真実をついている可能性も大いにありえるお話です。



「妖異記」
 この作品は「豊饒の門」と連作のような関係をとっておりますが、微妙に異なる点もあります。まず、この物語は「鄭」という国の君主の親子2代の物語ととることもできますが、「妖異記」は厳密には周王朝。西周末期を描いた作品です。

 まず。周王室の大史の伯陽が物語の語り部的存在になるのは、「国語」鄭語にて鄭の始祖・桓公と周王朝の大史の伯陽父の会話で成立しているからで、ある意味、物語を作るうえでは必然であり自然な流であったと思います。
 また、普通なら鄭の何年と年代を記入するところを、周王室の幽王2年と周王室を中心に据えられたままで、鄭というよりは周王室、西周の最後を書きとめたものといえます。


 物語の冒頭で西周三川の地震がおこり、周語には「西周の三川皆震(ふる)ふ。」とあります。水、渭水、洛水が乱れて、この川の水源となっている岐山が崩れた。
 物語の上では、これによって、滅亡を予言し、先代の宣王の軍旅を催した失策をあげて周王室の権威の失墜の一つとしていますが、事実はもう少し複雑なようで、親子2代の失政で滅ぶほど周王朝は脆弱ではないでしょう。

 ずいぶん前から綻びはあったようですが、もともと宣王より100年前の第5代穆王の犬戎を征伐してから遠方の国が朝貢しなくなり。
 第10代、王は暴政を行い民衆の叛乱により首都を脱出し彘へ追放されています。
 第11代、宣王も軍事を誤る以前に、農事の怠りや。「魯」の国の処罰の失策で諸侯の離心も招いております。
 それに加えての、褒姒を溺愛し太子の廃嫡を行ったなどの失政が重なっているのは言うまでもなく、3代続けての失政により、徐々に将棋の盤面が詰るように行き詰まりを迎えていたのでしょう。


 褒姒の素性について、伯陽が書簡を紐解く場面があります。
 龍の口から出た泡を箱に閉じ込めて、子女に舞わせたところトカゲに変化して少女を身篭らせて出来た子。とされています。
 作中や多くの物語では「泡」と表記され、まるで石鹸の泡のように思うところですが、文献では「漦(あわ)」(未+攵+厂+水)の文字を用いており。
 これは”すじにそって流れる”意味があり、この文字を使用するのは、涎(ヨダレ)や唾(ツバ)を言いますが、特に龍の口から吐くツバ、涎(ヨダレ)の事のみを示します。
 ようするに、龍の一部が確実に変化したものですね。



「豊饒の門」
 周の王都の西に位置した鄭(現在の陝西省華県東部)が、東周にともなって中原の新鄭(河南省新鄭市)に遷都しますが、文字で書けば簡単なようですが、その距離は凡そ350キロ。東京から京都の少し手前あたりか、同じく東京から山形の酒田、宮城県の長沼までの道のりとほぼ同等に為ります。
 蛮・夷の族の脅威に晒され、周の求心力がない時期に、これだけの距離を遷都するのは奇蹟に近かった事です。



「鳳凰の冠」
 魏絳について、本書ではわりと冒頭にてアッサリ気味ですので、ココではじっくりと下していきます。
 魏絳(魏荘子)は、晋の文公(重耳)の重臣の魏犨の末子の一人で戦国七雄の魏の礎を築いた人物の一人です。

 晋の悼公四年。前五七一年。諸侯を雞丘(河北省にある地)に召集した。
 魏絳が中軍司馬であったが、悼公の弟公子楊干が曲梁で隊列を乱したので、魏絳は彼の車の御者を斬った。公が羊舌赤(羊舌職の子の銅鞮伯華)に言った。
「寡人(わたし)が諸侯を召集したところ、魏絳は私の弟を責め戮(りく)す(恥をかかせた)私のために彼を捕らえよ、失ってはならぬ。」
赤(銅鞮伯華)対へて曰く。
「私の聞きまするには、絳の志しは、有事の際には危険を避けず、罪があれば刑罰を避けません。きっと申し開きをしに来るでしょう。」
 そういうか言わないうちに、魏絳がやってきて、僕人に上奏文を渡し、剣上に伏して自殺しようとした。そこで、士魴と張老が両側から止めた。僕人が上奏文を公に渡したので、読んで見るとこう書いてあった。
「わたくしは楊干を責めましたからには、死ぬ覚悟をしております。さきに殿さまには適材が見当たらぬものですから、わたくしに命じて中軍の司馬を授けられました。わたくしの聞きまするには、軍隊は軍律に従うのを武とします。軍事は死んでも軍律を犯さないのを敬とします。殿さまが諸侯を召集されましたのに、わたくしは不敬を致しましょうか。殿さまが御満悦なさらない御様子ですので死のうと存じます。」
公は読み終わるやいなや、跣(裸足)で飛び出して来て言った。
「私のさっきの言葉は、兄弟としての礼であり、あなたの処罰は軍隊の大事なおきてです。わたしに過ちを重ねさせないで下さい。(寡人の言は、兄弟の礼なり、子の誅むるは、軍旅のことなり。請ふ寡人の過ちを重ぬること無かれと。)」
 この役(動員)から帰ると、公は魏絳を正賓として儀礼上の食事に招いて、新軍の佐(副官)に任命した。


 ココまで引用すると浪花節のような印象もあるでしょうが、より君臣の情が伝わるようです。
 このときに、魏絳の両脇で自殺を押し止めた人物のうちの一人。士魴(彘恭子)は、宮城谷昌光『沙中の回廊』の主人公。士会(随会、范武子)の子の一人で士燮(范文子)の母弟になります。
 サラッと流してしまうようなところですが、悼公を支えた名臣はまだまだ数多いであろうことを思わせます。悼公は周で長期間亡命生活を送っていた苦労人なだけに公平な政治を心がけ、文公(重耳)に継ぐ晋の中でも名君の一人になるでしょう。



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(1995/12)
宮城谷 昌光

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