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孟嘗君 (三)

孟嘗君 (三)
著者:宮城谷昌光

 趙に亡命中の魏の君主の兄・公子緩(こうしかん)、と叔父に当たる公孫頎(こうそんき)の隠然たる影響力を行使し二人の手足となって動いた謎の多い豪商・恢蛍=扶善と鄭両・斉巨の兄弟の仇討ちの決着がつく!

 白圭は田文を孫臏に託して自らは交通の要衝の土で商売を始めるべく周へ向かった。
 孫臏は田嬰の紹介で斎の猛将田忌の客となり、教えを請う門人たちを集めて将軍の屋敷に教場を開き孫子の兵法を講義する。
 そんな折に、王や公族が主催する競走馬の催しが巡ってくる。孫臏は田忌の馬の能力を見抜き競争に負けても賭けに勝つ絶妙な出走順を策して見事に王の馬に勝ち田忌将軍の度肝を抜く。
この一事を持って兵法を机上の空論と軽視していた田忌であったが、兵法の玄妙なる奥の深さを垣間見た思いの田忌は直ちに孫臏を威王に推挙する。


 魏を主力とする魏・宗・衛の連合軍は衛を攻略に進軍してきた趙を撃退し、逆に趙の首都・邯鄲を包囲し追い込んだ。しかし、この戦いの趨勢を見計らったように秦が主力軍の出払った魏の隙を突くように魏の長城に沿って魏と韓の邑を攻略し始める。秦に背後を衝かれた魏は二正面作戦を避けて正規軍を秦に向けるためにも一刻も早く趙を陥落させなければならず。趙の首都・邯鄲へ猛攻を加え始めた。
魏の包囲網の隙を突いて趙から援軍を請う使者が斎に訪れる。斎は趙を救う援軍の出撃を裁可し田忌を将軍に任命する。孫臏は密かに田忌将軍の帷幄に加わり魏の本国である襄陵に進軍し桂陵で魏軍を迎え撃ちこれを壊滅させる。
――桂陵の役(紀元前三五三年)



 戦勝に沸き返る斎の都にて、密かに斎軍を勝利に導いた第一の功労者は孫臏であり。また類い稀な天賦の才と認めた田嬰は孫臏の家族を招き宴を開く。その席で田嬰の家督を継ぐ嗣子を見せられるが、孫臏はこの中にはいないとサラリと問答を交わすような遁辞を構える。
そして、同席した田文を孫臏の嫡子ではないかといぶかる田嬰を
「天、と申しておきましょう」
と謎をかけた言い方をするのだった。

 しかし、田文の友である夏候章にたまたま生母との密会を目撃されたことから、田忌から田嬰に話が伝わり、思わぬタイミングで親子の再開を果たすことになった。
田文は生母が妾であったことや五月五日の子供の忌日を恐れ嫡子に決定することにはならなかった。


そして、紀元前三四一年。孫臏の名が不動のものに成り。田文が輝かしい初陣を行う運命の年。
 前回の戦いから13年の歳月の後。魏が再び韓に進軍する。同じように斎は援軍の求めに応じて田忌を将軍に、孫臏を正式に軍師に任命し韓の救援の軍を派遣する。
 斎軍は前回同様に魏の都を攻めるような動きをしたが、魏の将軍は孫臏と同門の龐涓でありさすがに精鋭部隊を残しており不利と見た斎軍は撤退する。
 撤退する斎軍を追った龐涓は斎軍の引き払った陣が残した竈の数が次第に減っていくことに斎軍に脱走兵が相次いでいることを見抜き精鋭の騎馬部隊だけで斎軍を猛追する。
しかし、孫臏は撤退するふりをしつつワザと竈の数を減らし脱走兵が多くいるように擬態してみせて、機知に勝る龐涓を逆手に取り陥穽にはめることに成功する。
そして、運命の地。馬陵において追撃してきた魏軍を山間の隘路に誘い込み魏軍を殲滅させた。
――馬陵の役

 魏はこの戦いで太子申が斎軍に囚われるという失態も重なり、急速に国力が失われていくことになる。



 
 いままで白圭と斎巨の前に暗躍し続けていた豪商・恢蛍とともに公子緩の陰謀が潰える。
 そして、二つの歴史的な会戦を挟むこの巻は紛れもなく「孫臏の章」と呼べる巻であり、どちらかというと田文は居なくてもいいというよりは史書には居ない巻で、白圭が行った孫臏の救出も商人とされていたり墨子であったりするので宮城谷昌光氏の苦労が忍ばれる巻です。

 この巻では孫臏が物語の中心になるところから、主に「史記」からの物語を題材に取っており、「戦国策」や銀雀山漢墓から出土した竹簡「孫臏兵法」に記されたように龐涓が囚われるような内容ではありません。
まあ、捕らわれた後に「自裁」を薦めたのかもしれませんけれども。

 また銀雀山漢墓から出土した「孫臏兵法」の「禽龐涓伝」では「桂陵の役」と「馬陵の役」が一体となったような記述になって「桂陵の役」となっており龐涓は捕らわれたこととなっております。
 また、この「馬陵の役」以降に孫臏に関する記述がどの史書にもないので、物語と同じように斎に残ったのか失脚した田忌とともに楚に亡命したのかは正確にはわかりません。
 もちろん、孫臏は臏刑をうけたお体でありますので、体を労わって斎に残ったとも田忌とともに亡命したとも両方考えられます。宮城谷昌光先生も両方を考慮したであろうことは孫臏兵法をよく研究して文体を選んでおられる流れを見れば伝わってきますので、田文が才能を開花させやすいように孫臏を斎に残らせた方をお取りになったのでしょう。

今回は孫臏兵法の中から題材をとりたいと思います。
「月戦」(月に戦う)
孫子曰く、「天地の間に間するもの、人より貴きははなし。戦いは□□□□単にあらず。天の時、地の利、人の和、三者得ざれば、勝といえど殃(わざわい)あり。ここをもって必ず付与して□戦い、やむを得ずして後に戦う。故に時に撫して戦い、またその衆を使わず。方なくして戦うものは、小勝にしてもって磿(れき)に付すなり」
孫子曰く「十戦して六勝するは、星をもちうるなり。十戦して七勝するは、日をもちうるなり。十戦して八勝するは、月をもちうるなり。十戦して九勝するは月に□□……。
……あり、十戦して十勝するは、もって善とするも、過を生ずるものなり。一単……。
(□は文字の解読不明や竹簡の欠損によるものです。)


 最後の記述に見える。「十戦して十勝するは……。」は孫武の「孫子・謀攻篇」にも見える記述で「百戦百勝は善の善なるものにあらず」。また呉子のなかの「呉子・図国篇」にて「天下戦国、五たび勝つものは禍なり、四たび勝つものは弊ゆ、三たび勝ものは覇たり、一たび勝つものは帝たり」
これは、戦争がもちえる民心の影響を如何に重く見ているかということであります。

振り返ってみると、
斎の桓公は楚を破って紀元前六五一年に会盟を行い覇者となり。重耳は「城濮の戦い」で、楚の荘王は他にも戦をしているので範疇に入れるべきではないかもしれませんが「邲の戦い」で覇者となっております。
 田文も斎・韓・魏の連合軍を率いて秦を函谷関で破る「塩氏の戦い」で何れも何度も戦うことなく”いざ鎌倉”という一戦のみで雌雄を決する戦いを行い戦後の外交を巧みに行うことで戦後の混乱を抑え天下を安定させます。
 まさに孫子・呉子の兵法が伝えるとおり「一たび勝つものは帝たり」を行っているといってよく、孟嘗君・三巻に見えるように紛れもなく孫子・孫臏を継ぐ存在だったことは十分に窺えることと思います。


 それにしても、読み返してみてレビューを書くまでにこんなにも時間が掛かるとは、わが身の不才を恥じるばかりです。いまさらながら孫臏や史記に当たっても孟嘗君の記述の少なさに驚くしかありません。

小説・歴史・中国・ドラマ
孟嘗君〈3〉 (講談社文庫)孟嘗君〈3〉 (講談社文庫)
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宮城谷 昌光

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